その中には複数の証拠がありながらも
謎に包まれたまま、警察がお手上げという事件も…
そのうちの一つに、
1994年、一歳半の娘を残し、
数多くの証拠を残し
缶ジュースをもって山の中へ入っていった
山の中からは発見されず…
この未解決事件の謎はこれだけではないのです…
その他、謎に満ちた未解決事件を多数ご紹介!!
1994年(平成6年)9月2日午後7時頃、主婦の嵐真由美さん(当時27歳)が、出産のため戻っていた墨田区の実家から外出、当時1歳半の娘を残し、そのまま行方不明・・・。
◆行方不明当日の真由美さんの不可解な言動
事件当日、「同級生と会う」と姉に言い残し家を出た真由美さん。
ところが、行方不明の翌日、真由美さんの姉が同級生に確認したところ、会う約束はしていなかったという・・・。
さらに父によれば、外出前真由美さんは「どこか落ち着きのない様子」だったという・・・。
◆残された“謎のメモ”
真由美さんが行方不明になった日の夜、知人を名乗る男性“A”から、複数回電話がかかって来る。
翌日、姉の洋服ダンスから真由美さんのメモが見つかり、そこには「“A”と付き合っていたかったが、裏切られた」という内容の文と「ゴメンね」という言葉が・・・。
その日の夜“A”と会った姉が聞かされたのは、「行方不明になった日の昼間、真由美さんと会っていた」ということと、「真由美さんが死んでいたら、罰として刑務所に入るのを望みます」という不可解な言葉だった・・・。
◆“A”の不可解な行動
姉が調査会社に“A”の行動を調べさせたところ、“A”は’95年3月9日深夜、缶ジュースを2つ
持って山の中へ入っていったという。その後警察は山の捜査を行ったが、何も見つけることは出来なかった・・・。
・懐かしいな
・で洋子は誰やねん
・洋子は被害者の姉だ
●山菜取り主婦殺害事件
1979年5月23日、長岡京市内にあるスーパーでパートをしていた主婦2人が、仕事終了後、近くの山の竹林にワラビ採りに行ったまま消息不明となり、2日後の25日、山頂付近で遺体となって発見された。
直接の死因は主婦A(当時43歳)が絞殺、主婦B(当時32歳)が刺殺。2人のリュックには、それぞれ空の弁当箱、採ったワラビ、財布が入ったままであった。
検死の結果、死亡時刻はどちらも正午過ぎから2時半までと判明。
どちらも金を奪われた形跡はなかったが、主婦Aの衣服のポケットから
“オワレている たすけて下さい この男の人わるい人”
と鉛筆で走り書きをした、勤務先のスーパーのレシート(日付は事件当日より2日前)が発見される。
だが、どちらの荷物にも衣服のポケットにも、この鉛筆がなかった。後日の捜索で、殺害現場から少し離れたところで芯の先端だけが見つかっているが、鉛筆そのものは見つからなかった。
主婦Aは全身30箇所以上も殴打され、肋骨が折れて、肝臓が破裂しており、体内からは犯人のものと思われる体液が検出された。
主婦Bは全身50箇所以上も殴打され、包丁が体に突き刺さったままだった。なお、主婦A、B共にアキレス腱が切られていた。
・明らかな私怨なのになぜこの男の人と言ったのかまた、筆記用具が残されていなかったのもミソだな
●石嵜容子さん失踪事件
1990年大晦日、茨城県三和町の石嵜容子さん(14)が友人宅から帰宅途中に失踪。
帰路に容子さんの自転車と手荷物が残されていたが他に有力な手がかりはなし。
・行方不明になる→電話を掛ける って流れがどうも気になる
●坪野鉱泉肝試し失踪事件
1996年(平成8年)5月5日に氷見市在住の女性2名が家族に「肝試しに行く」と告げて外出し、友人のポケットベルに「今魚津市にいる」とメッセージを送ったのを最後に行方が分からなくなるという事件が発生した。
富山県警察は、「肝試し」「魚津市にいる」というキーワードから、2人は魚津市にある廃墟となった坪野鉱泉旅館跡に出向き、その後失踪という結論に至り、事件・事故の両面から捜査を行った。
紙面では更に、女性の片方が所有し失踪当時運転していた乗用車が発見されないことから、県警ヘリと山岳捜索隊を組織し、崖下など車が転落しそうな地点を捜索したが発見に至らず、当時の坪野鉱泉が暴走族のたまり場であったことから事件に巻き込まれた可能性もあるとしている。
●大西有紀ちゃん行方不明事件
2005年4月29日
この日、香川県坂出市の五色台ビジターセンター奥の竹林で、たけのこ掘りのイベント(五色台連絡協議会主催)が行なわれていた。
集合時間直前の午後2時前、高松市から母親と小3の姉と一緒に参加していた幼稚園児・大西有紀ちゃん(当時5歳)が、行方不明になっているのに母親が気づいた。
有紀ちゃんは4本目のたけのこを見つけ出した後、「もう1本掘ってくる」と言い残して奥に進んでいったという。
すぐに母親は他の参加者に声をかけて辺りを探してみたが、彼女の姿はどこにもなく、午後3時頃にビジターセンターから通報した。
その後、事件・事故両面から捜索が行なわれ、夏には近くの池の水も抜いたが有紀ちゃんはいまだ見つかっていない。
察犬の追尾も、竹林のある地点で途切れている。
連れ去り事件の可能性もあるが、そこは車を停められるような場所でもなく、(いわゆる竹ヤブの中のほんの少しの空間)犯人がどのようにして有紀ちゃんを連れ去ったのか謎である。
警察犬4頭とも同じ地点で有紀ちゃんの痕跡が消えていることを示していた。
のちの検証番組でも同じ結果だった。
その中で、仮に何者かが有紀ちゃんを抱えて連れ去った場合でも(犯人の)靴と土の摩擦臭で警察犬は追尾できることを実験してみせた。
専門家は「その地点からヘリコプターを使って空中にでも引っ張り上げでもしないかぎりありえない」と話している。
・鳥に連れ去られた説あったな
・これは事件より事故っぽいなあ
●田畑作之介ちゃん行方不明事件
1978年(昭和53年)3月3日大阪、自宅近くで田畑作之介ちゃん(3歳)が自動車に撥ねられた。
作之介ちゃんは重態だったため、救急車を待っている余裕がなく、轢いた本人が「自分の車でこの子を病院に連れて行く」と言い、作之介ちゃんを車に乗せ走っていった。
四日になっても作之介ちゃんが病院などで手当てを受けた形跡がないことから、誘拐容疑事件とみて、住吉署に合同捜査本部を置く一方、目撃者の証言から犯人は「中年の男」と断定。
モンタージュ写真づくりなど本格的な捜査を始めた。
Nシステムもなく、防犯カメラも未整備の時代。
車を特定することはできず・・・作之介ちゃん(当時3)が自宅付近から行方不明になっている「作之介ちゃん事件」は三日午前零時で、業務上過失致傷、略取誘拐罪など5年の時効が成立した。
大阪府警交通指導課の捜査本部では現在でも連日、捜査情報が寄せられていることから、捜査本部は専従捜査員15人のFBI方式で引き続き捜査を進める。
・突発的な犯行か 埋めたりしてるかもしれないな
・これはどっかに遺棄してる気がするなあ
この世にはまだまだ多くの未解決事件が存在しています。
一つでも多く、事件の全貌が解明され、遺族や被害者の方々の気持ちが晴れることを祈るばかりです。
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