【死亡者多数】ミイラ化した船の真実がエグいと話題に

    怖い話  16年10月31日09時50分
    【死亡者多数】ミイラ化した船の真実がエグいと話題に

    これは、あの有名な海難事故のお話。
    生々しいため閲覧注意です。

    俺が知ってる実話怪談で一番怖いヤツを・・・

    知ってる人は知ってるだろうがあの海難事故『良栄丸事件』(りょうえいまるじけん)を・・・・・・

    ・発見されたミイラ船

    1927年10月31日、カナダ西海岸バンクーバー島。

    ワシントンのシアトル港への帰路についていたアメリカの貨物船「マーガレット・ダラー」号は、行方不明になっていた小型漁船「良栄丸」を発見した。

    ボロボロに朽ち果てた船体、ミイラの転がる甲板、激しい死臭、白骨体、足の無い死体。

    船室には、頭蓋骨を砕かれた白骨体とミイラがあった。

    船室奥の部屋には、おびただしい血痕が染み付いていた。

    船尾の司厨室(しちゅうしつ)では、海鳥(かいちょう)の白い羽が、至るところに散らばっており、コンロの上にあった石油缶の中には、人の腕が入っていた。

    船内には食物も飲料水も無く、エンジン機関部は全て破損していた。
    ところが、船長室から見つかった3冊のノートには、信じられない惨状が書かれていたのだった。

    そのノートによると、良栄丸の情報は以下の通りだ。

    重量は19tで1本マスト
    船主は和歌山県の藤井三四郎(さんしろう)
    船長は三鬼時蔵(みき ときぞう)
    機関長は細井伝次郎
    乗組員は12名
    神奈川県の三崎港を出港したのは1926年12月5日
    約1年間漂流していた

    ここで疑問が浮かぶ。
    発見された死体は9体、記録には12名とある。3名はどうなったのだろうか。
     

    ・不幸な漁船

    1926年12月5日、神奈川県の三崎港を出港した良栄丸は、千葉県銚子沖にマグロを求めて進んでいた。
    天候も思わしくなく、エンジンが調子の悪い排気音を立てていたため、翌12月6日に銚子港に寄港した。

    しかし、エンジンに故障はなく、銚子の沖合いで大量のマグロを水揚げした。が、暴風に見舞われて航行不能に陥ってしまった。

    そして12月15日、銚子の東方沖合い1000マイルほど流された時、紀州船によく似た船が現れたので、信号を送ったり船員が叫んだりしたのに、応答も無く通り過ぎてしまったという。
    三鬼船長は漂流を決意、記録には「4ヶ月間は食べられる」と書いてあった。

    12月16日にも「東洋汽船」と書かれた船が近くを通ったが、応答は無かったという。
    なんとか日本へ戻ろうと努力したが、どうやっても逆に流されていった。記録にはこう書かれている。

    「どう工夫しても西北へ船は走らず絶望。ただ汽船を待つばかり。反対にアメリカへ漂着することに決定。帆に風を七三にうけて北東に進む・・・・。しかし、漁船で米国に辿り着こうとするは、コロンブスのアメリカ大陸発見より困難なりと心得るべし」
     

    ・恐怖の記録

    ここからは説明は要らないだろう。
    記録文のみで充分に迫力が伝わってくる。

    「12月27日。カツオ10本つる」
     

    「1月27日。外国船を発見。応答なし。雨が降るとオケに雨水をため、これを飲料水とした」
     
    「2月17日。いよいよ食料少なし」
     
    「3月6日。魚一匹もとれず。食料は一つ残らず底をついた。恐ろしい飢えと、死神が徐々にやってきた」
     

    「3月7日。最初の犠牲者がでた。機関長・細井伝次郎は、「一目見たい・・・日本の土を一足踏みたい」とうめきながら死んでいった。全員で水葬にする」

    さらに恐ろしいのはここからです。
    極限状態にまで陥った人間は一体どんな行動に出るのか?
    まさに生き地獄…………
     

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